私の通っていた高校は築120年という気合の入りようでした。
改築が繰り返された校舎は、素人目に見ても奇妙としか言いようの無い形に湾曲しています。
今では珍しくなった平屋であるにも関わらず階段があり、廊下のどん詰まりの壁際際から天井に向かって伸びています。
そのほかにも玄関を入ってすぐにある音楽室や、ドアが埋め込まれて立ち入れなくなった教室。
(外から見るとベニヤ板で物々しく目張りされています)
その中でも奇妙極まりないのは「監視小屋」なるものがあるということです。
私は遠方から通っていた為、時々地元の友人の家や先生の社宅に宿泊させてもらうことがあったんですが、
たまたま泊めてもらえるあてがなかったその日、
「監視小屋」に泊まることにしました。監視小屋は一見、ただの民家のようです。 八畳一部屋で古い型の電話、小さな台所があります。
そしてここがなぜ「監視小屋」と呼ばれているのか、私はその晩、身をもって知るに至ったのです。
小屋には私のほかにもう独りの友人が一緒に泊まることになっていて、私たちは修学旅行ののりではしゃぎながら布団を敷いたりしていました。
夕食を取りながら談笑しているとき、突然電話が鳴りました。 何事かとびくつきながらも電話に出ると用務員のおじさんで、
女子生徒二人と言うこともあって心配してくれているようでした。 はしゃぎ過ぎないように色々と注意を促され、電話を切ろうとすると
「あぁ、忘れていたけど・・・西側の窓のカーテンは必ず閉めて寝なさい」とのこと。
そのときは「はぁい」と生返事で電話を切ったのですが、よくよく考えると意味がよくわかりません。学校の裏手にあたる墓地はその方向ではないのに、
おかしいねと話しながら友人は何の気なしにそのカーテンを開けました。
そこには麻縄で禍々しく祭られた、古びた井戸がありました。
丁度コの字型になった校舎と小屋に阻まれていて、今まで目にする機会の無かったものだったのに一瞬ゾクリと悪寒が走りました。
「なんか気持ち悪いね」などと言いながら、私たちは一つの布団にくっつくようにして晩は眠りについたのです。
どれくらい眠ったのか・・・私は肩口の寒さに身体を震わせて目を覚ましました。
ふと見ると友人の姿がありません。小屋にはトイレがなかったので、教員寮の方に借りに行ったのかと思い、
しばらく待ってみましたが戻ってきません。
ドアを開けて外の様子を伺ってみましたが、校舎のほうからも教員寮からも戻ってくる気配はありません。 「何処行ったんだろう・・」
と不安に駆られながら部屋に戻った私は、本当に何気ない気持ちで先の窓のカーテンを開けてみました。
下着姿の友人は、井戸の側にいました。
そして腰の辺りに手をやってゴソゴソしています。 「なぁんだ、裏で用を足すつもりなのか」と呆れながらカーテンを閉めかけた私は、
ふと奇妙な感覚に囚われてもう一度井戸の方に目を向けて声を上げそうになりました。
ゴソゴソしていたと思っていたのは、腰に縄を巻きつけていたのだと気づきました。
そして今はしゃがみこんで縄の先に大きな石を括りつけています。
私は声も出ませんでした。すると今度は井戸からぬるりと白い手が伸びてきたのです。
手は何かを探るように蠢いて、やがて近くの麻縄を掴みました。 友人は深く頭を垂れて項垂れ、最早何の反応も示しません。
縄を掴んだ手はずるりずるりと石を手繰り寄せていきます。私は夢中で叫んだつもりでしたが、声が出ませんでした。
「あぁ・・Aちゃんが連れていかれる・・っ!!」そう思ったとき、闇を劈いてけたたましく電話のベルが鳴りました。私はその音と同時に、敷いてあった布団に尻餅をつきました。
そのとたんに金縛りのようだった身体がふと軽くなるのを感じ、気がつくと裸足で外へ飛び出して井戸の側の友人のところへ駆け寄りました。放心状態の彼女を何とか小屋まで運び込み、
どれくらい呼びかけていたでしょう。 しばらくすると友人は我に返り、泣き出しました。恐怖から解き放たれた私も一緒になって泣き出しながら、とりあえず誰かに助けを求めようと電話を引っ掴みました。
そのとたん私はしがみついていた友人共々、又しても布団に尻餅をついたんです。
受話器ごと掴んだ電話機はガワだけで、電話線が繋がるどころか中の機械部分が空っぽだったのです。
後から聞いた話によると開校当時、なぜかこの井戸に身を投げて自殺を図る生徒が後を絶たなかったため、埋め立てようと試みたのですが関係者が相次いで亡くなるなどの不幸が続き、
結局は埋め立てを断念。
改築を重ねて井戸が人目につかないようにしたそうです。それでも何処からとも無く身投げをする人が現れるので、それを監視する為に人を置く「監視小屋」が設置されたのですが、
小屋に在駐していた監視役の男性も井戸に身投げを図り、小屋と井戸がそのまま放置される結果になったのだということです。
「カーテンを開けるな」と忠告した電話は、いったいどうやってかかってきたのでしょう?そして彼は、果たしてその監視役の男性その人だったのでしょうか。
意味がわかると怖いコピペ966 「監視小屋」
事務所大掃除ちゅう~
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生野コリアンタウン 「御幸通り商店街」は韓国コスメが大人気!
きっどさんは知らない町ではない、
いや事務所からの帰り道に週一くらい、たぁ~ぼくんで通っている。
でも夜なので既にお店は全て閉まっていて、
あー、韓国料理やキムチのお店、後はK-POPや韓流が人気なんやろうなあ、
と想像していた。
鶴橋が自然発生的なコリアンタウンとして、
こちらは観光客目当てに、ふつーの地元商店街をコリアンタウンへと演出したんだと。
確かに「作られたコリアンタウン」である事は間違いなさそうだけど
ここの最大のウリはキムチでも、K-POPでもない
「韓国コスメ」だ!
きっどさんが訪れたのは12月23日の天皇誕生日、
周辺の駐車場はどこも満車状態、空くのを並んで待ってるくらいだ。
それ人々のお目当てが韓国コスメなんですな。
とりあえず安いらしい。
かたつむりのクリームやら、エッセンスマスクやら
男性から見ると「何これ?!」て物にご婦人達が集っていた。
なるほどな~
わからんもんやね~
今でもこれだから、もっと日韓関係が良好で
韓流ドラマ全盛期には「御幸通り商店街」凄かったやろうなあ。
因みに鶴橋・御幸通り商店街に続く大阪第三のコリアンタウン
「今里新地」
はまた全く別の毛色、こちらはどちらかと言うと紳士の皆様向けですな。
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銘柄豚だししゃぶ 『銘柄豚酒場 和 ~なごみ~』 ☆
「豚しゃぶ」専門店、
しゃぶしゃぶで「牛」の安めノメニューとして「豚しゃぶ」を提供するのではなく
こちらは最初から「豚しゃぶ」を、しかも銘柄豚を食べて頂こうってコンセプト。
だらら初めてのお客さんはこんな感じの「お試し」をまず注文するのがスタンダード・
4種類の銘柄豚の肩ロースとバラ、都合8種類も出てきて、
その中からお気に入ったのを追加オーダーし、堪能するのである。
一応、ポン酢とゴマダレも用意してくれるけど
「特製和風つけダレ」
にたっぷりの白髪ネギ&青ネギを挟んで食べるのが通。
元々豚は牛に比べてあっさりしてる上、この食べ方ならいくらでも食べられてしまう。
ヘルシーだし、特に女性にはオススメ!
《解説編》意味がわかると怖いコピペ966 「監視小屋」
意味がわかると怖いコピペ967 「彼女」
天文年鑑(2013年度版) 来年はパンスターズ彗星・アイソン彗星の接近期待!
「数十年に一度天体ショーの当たり年」
と言われた2012年から一転、来年2013年はちょっぴり寂しい一年となる。
地球全体では金環日食・金環皆既日食・部分月食がそれぞれ1回づつあるが
日本では殆ど観る事が出来ない。
流星群も先日最良の条件だったふたご座流星群は2013年は満月の為に条件悪、
夏のペルセウス座流星群はまずまずなので、観るならこちらか。
そんな中、2013年期待の最大の天体ショーと言えば
パンスターズ彗星
アイソン彗星
このふたつの彗星の接近であろう。
久々に肉眼でも楽しめる彗星である。
パンスターズ彗星は3月下旬から4月上旬にかけてー3等級
アイソン彗星に到っては11月下旬にはー10等級
くらいまで明るくなると期待されてる。
彗星は尾があり「面」なので、同じ等級であっても恒星や惑星のような「点」と比べると暗く感じるのだけど
それでも、あれだけ話題になった1986年のハレー彗星が4等級である事に比べると
「マイナス10等級」とはとんでもない明るさである。
来年はデジイチいおすくんを空の暗い場所へ持って行って
両彗星の写真撮影に挑戦してみたいと思うね!
「逆説の日本史 別巻3 ニッポン[三大]紀行」 井沢元彦著 ××
歴史はいつかは現代に辿り着いてしまう運命なので
「週刊ポスト」での連載は必死に引き伸ばしして
江戸時代くらいからは全然時代が進まない。
それでも何とか他でも本を売りたい、
って事で考え出されたのが、
これまで書いて全く売れなかった本に
「逆説の日本史」の冠をつけて「別巻」として再販してしまおう、
という一種の便乗商法である。
この本も実は2003年8月に旅行読売出版社より刊行された
『日本人の心をとらえる3の霊力に迫る』
を改題し、改稿・再構成したものである。
つまり全然「逆説の日本史」と関係ない
出版社からみても、明らかに単なる旅行記であったのを
無理やり「逆説の日本史」にしてしまったんですな。
よって内容は歴史モノとしては見事に薄っぺらい。
しかも旅行記・ガイドブックとしても中途半端。
つまり読む価値無しって事ですな。
「日本人はなんでも『三大』にする」と書かれると納得してしまいそうだが
二大は「東西両横綱」「両雄」
四大は「四天王」
五大は「五本の指に入る」「屈指の」
なんて行ってるので、
実は「三大」以外も結構並び称してるのである。
「ぼくらの昭和オカルト大百科 70年代オカルトブーム再考」 初見健一著
ここで紹介されている70年代のオカルトブームは、
きっどさんもリアルタイムで体験している。
ノストラダムスの大予言
ユリ・ゲラー
ツチノコ・ケサランパサラン・オリバーくん・ニューネッシー
こっくりさん・キューピットさん
この辺りは「ちびまる子ちゃん」にも出てくるよね。
あと「引田天功の大脱出シリーズ」なんて懐かしいね~
二代目に当る現プリンセス・テンコーの師匠ね。
確かプリンセス・テンコーも朝風まり時代に一度代役で挑戦してた。
当時は何故こんな「オカルトブーム」がやってきたかと言うと
この本の中でも語られてる通り、当時は非常に不安の多い、暗い時代であったからである。
そう書くと現在20代より若い方は訝しがられるかも知れない
「当時は高度経済成長期じゃなかったの?」
「大阪万博で『人類の進歩と調和』とか明るい未来を描いてたじゃあ?」
いえいえ、キューバ危機の時よりは幾分緊迫感は遠のいたけど
まだまだ冷戦真っ只中、いつ第三次世界大戦、核戦争が起こっても不思議じゃなかった、
ベトナム戦争も泥沼化していてサイゴン陥落するのは75年だ。
「ゴジラ対ヘドラ」なんてトンデモ怪獣映画が東宝チャンピオン祭で上映されるくらい
公害の酷さは、現在の中国より上だったかも?
水俣病とか、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、の地方だけじゃなく
ふつーに内の街でも「光化学スモッグ注意報」が乾燥注意報並みに発令されて、
その度毎に体育の授業が中止、我々は校庭で遊ぶ事さえ出来なかった。
今でも映画化されたりしてるが70年安保に破れて学生運動は収束していたけど
連合赤軍のテロが国内外で巻き起こされ、ハイジャックとかもようあった。
90年代よりも「世紀末」だった70年代、
伝えるテレビも現在とは比べものにならないほど放送コードが緩かったので
かなり誇張して、裏づけも取らずに、やらせ満載で、オカルトを垂れ流していた。
映像が残っていたとしても地上波での再放送なんて絶対無理だから。
そんな怪しげな時代にちょっとタイムスリップしてみたい貴方には
是非、一読して頂きたい一冊。
そうそう日本テレビ放送の
「石原慎太郎の国際ネッシー探検隊」
って番組等々、現日本維新の会ウエスト代表の石原慎太郎の名前がやたらと出てくる。
当時からこのおっさんは、たいがい胡散臭かったのである。
第54回輝く!日本レコード大賞(2012年)はAKB48が連覇!最優秀新人賞は家入レオ
TBSチャンネルで「第13回輝く!日本レコード大賞」
を放送していた、1971年ですな。
リアルタイムで観て、記憶があるのはこの回からかも?
大賞が尾崎紀世彦「また逢う日まで」
最優秀新人賞が小柳ルミ子、あの小柳ルミ子である。
そこで大衆賞を貰った若き頃の
堺正章が当時紅白からレコに移った大物司会者
高橋圭三に対して
「次はその席を狙っている」と軽口を叩いて思い切り不機嫌にさせていた。
(当時を知る者としては、これは冗談にもならないとんでもない暴言)
しかし、そのマチャアキが1996年から実際に司会を務める事となり
でも今年は経費削減の為に敢え無くクビ、栄枯盛衰ですな。
そんな諸行無常の中でAKBがレコ大を連覇。
確かに今年の芸能界もAKB48を中心に回っていた。
ただ、昨年の「フライングゲット」に比べて
「真夏のSounds good !」は誰もが口づさめる国民的ヒット曲であったか?
否である、あやにゃんでさえ唄えないのである。
確かに2012年ナンバーワンCDセールスを挙げたのは「真夏のSounds good !」
しかし、それは総選挙の投票権が欲しかっただけ、
仮面ライダースナックのカードを取った後に捨てられたスナックと一緒である。
だから選ぶなら「ギンガムチェック」の方にして欲しかったな。
まあ番組スタッフが苦労してブッキングに成功した
FUNKY MONKY BABYSを大賞ノミネート(優秀作品賞)で落として
代わりにAAAを選んだようなトレンドを全く知らないボンクラ審査員だから。
(まあ、金で動いた結果なんだろうけど)
スタッフが慌てて「優秀アルバム賞」で呼んでね。
最優秀新人賞は
New Soiritsユーザーなら先刻御承知の
家入レオ
きっどさんがかなりプッシュしてたからねー。
こちらも「Shine」ではなく鮮烈なデビューを飾った「サブリナ」を唄わせてあげたかった。
最優秀歌唱賞
天童よしみ
で?