祖父は第二次世界大戦中、日本軍の戦闘機パイロットだった。
なかなかの腕前だったらしいが、いくら敵とは言え人を殺すのが嫌だという軍人らしくない心優しい男だった。
とは言っても国家の命運をかけた戦争中だ。
敵機を見つけたら撃墜するのが任務。
敵機を撃つ際は操縦席を狙わずに翼やプロペラを狙い、
敵パイロットがパラシュートで脱出して助かるようにしていたそうだ。
特に思い出に残っているのは1945年に小笠原諸島の上空で米軍機と激しい戦闘をした事だという。
しかしそこは歴戦の凄腕パイロット。激戦の末、敵機を撃墜した。
敵パイロットが脱出するのを見届け、
「よし、下には小笠原諸島がある。奴は父島あたりに着地できるだろう」
と安堵して基地に帰還した。
それから数ヶ月してついに戦争が終わった。
終戦後に自分の記憶と米軍側の資料を照らし合わせ、撃墜した敵パイロットの生死を調査したらしい。
どうやら全員がまだ存命という事で、祖父は味方はもちろん敵ですら誰一人として殺す事なく戦争を戦い抜いたんだ。
戦後は家族を作り幸せに暮らし、1987年に孫である俺も誕生した。
ここまでは俺が去年父から伝え聞いた話だ。しかし俺は知っている。
しばらく前に祖父が涙を流しながら俺に話してくれた事がある。
俺が4歳になる頃、祖父は俺にこう言った。
「ワシは人殺しだ。たくさんの人を殺してしまった。何百人も、何千人もな。
血気の盛んな戦友でも殺した敵は10人にも満たないというのに…」
しばらくして俺が16歳の時に再び祖父は言った。
「やっぱりワシはとんでもない人殺しだったんじゃ。
罪もない人間を、何千人も、何万人も殺してしまった。
どれだけの家族が今も、そしてこれからも苦しんでいくのだろう…」
父から聞いた祖父のエピソードは間違いなく事実だ。
しかし、あの心優しい祖父が嘘をついてたとは思えない。
俺は24歳になって大学院で第二次世界大戦史を研究している。
そしてたった今読んでいた本のおかげで、あの時の祖父の言葉の意味が理解できた。
涙が止まらない。
なかなかの腕前だったらしいが、いくら敵とは言え人を殺すのが嫌だという軍人らしくない心優しい男だった。
とは言っても国家の命運をかけた戦争中だ。
敵機を見つけたら撃墜するのが任務。
敵機を撃つ際は操縦席を狙わずに翼やプロペラを狙い、
敵パイロットがパラシュートで脱出して助かるようにしていたそうだ。
特に思い出に残っているのは1945年に小笠原諸島の上空で米軍機と激しい戦闘をした事だという。
しかしそこは歴戦の凄腕パイロット。激戦の末、敵機を撃墜した。
敵パイロットが脱出するのを見届け、
「よし、下には小笠原諸島がある。奴は父島あたりに着地できるだろう」
と安堵して基地に帰還した。
それから数ヶ月してついに戦争が終わった。
終戦後に自分の記憶と米軍側の資料を照らし合わせ、撃墜した敵パイロットの生死を調査したらしい。
どうやら全員がまだ存命という事で、祖父は味方はもちろん敵ですら誰一人として殺す事なく戦争を戦い抜いたんだ。
戦後は家族を作り幸せに暮らし、1987年に孫である俺も誕生した。
ここまでは俺が去年父から伝え聞いた話だ。しかし俺は知っている。
しばらく前に祖父が涙を流しながら俺に話してくれた事がある。
俺が4歳になる頃、祖父は俺にこう言った。
「ワシは人殺しだ。たくさんの人を殺してしまった。何百人も、何千人もな。
血気の盛んな戦友でも殺した敵は10人にも満たないというのに…」
しばらくして俺が16歳の時に再び祖父は言った。
「やっぱりワシはとんでもない人殺しだったんじゃ。
罪もない人間を、何千人も、何万人も殺してしまった。
どれだけの家族が今も、そしてこれからも苦しんでいくのだろう…」
父から聞いた祖父のエピソードは間違いなく事実だ。
しかし、あの心優しい祖父が嘘をついてたとは思えない。
俺は24歳になって大学院で第二次世界大戦史を研究している。
そしてたった今読んでいた本のおかげで、あの時の祖父の言葉の意味が理解できた。
涙が止まらない。