信西に
「死罪じゃ、今述べた罪人共を斬首せよ」
と言われた清盛が
「えっ?えっ?」
って表情をしていたのは当然で
日本では藤原仲成が810年に「薬子の変」により処刑されて以来
律令に基づき死刑として処罰された例は346年間途絶えていたからである。
実はその仲成も「射殺」という養老律令に無い方法で執行されているので
「私刑」では無いかと言われているくらい。
それ程当時は、法によって「死」という穢れた刑を下すのはタブーであったのだ。
今で言うと、消費税増税に反対した民主党議員に
本当の「切腹を命じる」とか、
職場でタバコを吸ってる大阪市営地下鉄職員の腕に「入墨」を入れるとか、
そのくらいのとんでもない「時代遅れ」の処罰だったのだ、
対象が貴族を除く、武家に対しての執行であったとしても。
平将門の首は、処刑じゃなくても獄門にしたら、大正・昭和に至るまで祟ってるもんなー。
菅原道真なんて、ちょっと左遷しただけで雷落としよるもんなー。
案の定、崇徳院も流罪だけで怨霊になっとるし。
ただ流罪といっても孤島じゃなくて四国の讃岐やからね。
そんなんで文句言ってたら大泉洋ら「どうでしょう班」はどうするねん?!
怨霊にならんと、喜んで「ぶっかけうどん」でも食べておけ!
それとも京都の人やから、関西風のコシの無い麺が好きなんか?!