幻のラーメン『童麺』を探して4ヶ月余り。
いくら中国の物価が安いとはいえ、帰りの渡航費を引くとあと1週間が限度か。
ラーメン激戦の日本で成功するには『童麺』を知る以外、道は無いと思っている。
きっかけは中国系移民で俺のラーメンの師匠、朕さんの話からだ。
浙江省にある村でしか作らないと言われているらしい。
ほとんどの村はお茶ばかり作っているし、独自のラーメンを作る人たちは居なかった。
しかし、これが最後と決めた村で、
ついに『童麺』と出会った。
他の村よりもっと貧しいと思われる山村。
僅かばかりの開墾で食べているのが俺の目でもわかる。その村では旅人にしか
出さない、最高のもてなしが『童面』なのだと言う。
俺が訪ねた家は8人の大家族だった。子供4人、若い夫婦2人、老夫婦2人。
充分な謝礼を用意するから是非、振舞って欲しいと一家の主であろう長老にお願いした。
長老の話では数十年前から、そういったもてなしはしていないとの事。
作り方も老人達の一部しか記憶しておらず、
自分も曖昧だと言う。丁重に断られた形だ。
さすがにここまで来て手ぶらで帰れないので、帰りの渡航費も含めた金額を提示し、
土下座してお願いした。
「この村は中国でも旅人を最も大切にしてくださる村だと聞きました。是非教えてください。
私も必死なのです。私の家族の為でもあるのです。」
「わかりました。明日の正午、またお訪ねください」
翌日の正午、再び訪ねた。
「どうか、しっかりと味わってください。そして目にしっかり焼き付けてお帰りなさい」
黒く、そして異常に細い麺を見た瞬間、全てを把握した。
俺は泣きながら、どうしようもない後悔をしながら『童麺』を必死に食べた。
そして1時間後、謝礼を済ますと7人の家族に見送られて村を後にした。