秀長、利休、そして鶴松と秀吉の周囲で次々と人が亡くなった天正19年だけど
この中で豊臣政権にとって一番痛かったのは弟の豊臣秀長の死だろうなあ。
秀吉が真に信頼してたのは秀長と寧々だけだったように思うし、
基本的に官兵衛は(最初から)疑っていた筈だし。
千利休に関しては、わびさびかどうか知らんけど、
このおっさんは、やっぱり勘違いオヤジだと思うね。
茶道をされてる方には申し訳ないけど。
茶道を「道」として何やら権威付けたのは、
報償としての土地は限りあるから、
その代わりに「一国に値するような名器」と茶道具を利用する為だったと理解している。
勿論、その中心にいたのは信長で、
茶の芸術性(そんなもん実在するか定かでないが)なんぞ判る筈も無い秀吉が利休を重用したのは、
そのシステムを引き継ぎたかっただけで。
でも利休はなんか自分を偉い人のように勘違いしちゃった訳ですな。
単なる茶坊主にしか過ぎないんだけど。
現代で言えば「サテンのマスター」か?
こっちの話を黙って聞いてくれるには有り難いけど
なんか判ったような説教されるとムカつくもん。
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〔NHK大河ドラマ〕軍師官兵衛 第41回「男たちの覚悟」 千利休は「喫茶店のマスター」?
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