有岡城と言えば、JR伊丹の駅前の石垣ですな。
荒木村重が大改修する前は伊丹城と呼ばれ
落城後4年で廃城されてるので、
「有岡城」ってのは村重が居た時期だけって事にある。
この有岡城から尼崎城(以前に述べた通り、阪神尼じゃなく大物)に逃げたのが天正7年9月2日、
織田軍により総攻撃開始が10月15日、
開城が11月19日、
だから、実はドラマのように一瞬で終わった訳ではないのである。
それに尼崎城は息子の村次が居るし、毛利からの補給路にもなってる重要な拠点、
決して逃げる場所ではない。
いや我が身の安全が大切なら、むしろ有岡城よりも危険な場所である。
織田軍も、半数を裂いて、しかも信忠を大将に尼崎城へ向かってるのだから
その気になったら荒木村重・村次親子の首を討つ事はそう困難でなかった筈。
それを敢えて殺さなかったのは
「大将の村重が家臣や家族を見捨てて逃げた」ってデマを流して
残された家臣を内通させ、攻城戦を安易にする滝川一益の作戦ではなかったか?
実際そうなってるしねー。
「尼崎城と花隈城を明け渡せば、おのおのの妻子を助ける」って説得に応じなかったのは、
村重としては当然で「いやいや別に逃げてきたんとちゃうし、まだまだ負けへんし」と考えてたとか。
そこを情報戦に惑わされた味方に裏切られて、
更にはイメージ戦略ですっかり悪者に、
自慢の美人妻まで殺されてしまう。
って方が、ドラマの屈折した心理より説明つきやすいんやけどなあ。
↧
〔NHK大河ドラマ〕軍師官兵衛 第22回「有岡、最後の日」 実は村重が逃げたのではなかった?!
↧