八尾市に属するものの、地域的には中央環状線の西側に位置し
電話番号も、八尾市の市外局番の「072(昔は0729)」ではなく「06」
と明らかに平野区である竹渕地区。
現在でこそ「たけふち」とフリガナを振られているが
地元では皆「たこち」と読む。
これは明治維新の混乱期に幕府軍の残党が残る平野郷と
現在の八尾市の前身である官軍側の若江郡が局地戦を行い、
その最大の激戦区がこの竹渕であり、多くの死没者が発生した場所から
本来は「多故地」であったのが、文字を「多幸地」とした後に
「竹渕」となった事は以前にも述べた。
この若平戦争で勝利した官軍側の若江郡が竹渕地域を植民地として得て、
廃藩置県の後の、都道府県の整理、そして八尾市制開始の中で
当然のように八尾市として併合されていった。
しかし八尾市出身の我等が橋下将軍さまが大阪市長に就任した事で
時代は大きく動いた!
「北方領土返還運動は、まずは国内から」
とのスローガンの下に、90年ぶりに竹渕地区を大阪市に返還する事を
大阪維新の会代表の立場として、八尾市長に要請し、
八尾市側も将来の府市統合を睨んで、返還に応じる事となった。
具体的な返還スケジュールは、
大阪市と大阪府が統合し「大阪都」が成立するのと同時に行われる予定。
竹渕地区住民の長年に渡る悲願
「大阪市民」が遂に実現する!