きっどさんは判断に困っている。
この記事自体が「ネタ」なんだろうか?
それとも自称
『まじめなこと、ふまじめなこと、あれこれとりまぜ、まとめておもしろがります。悪ノリ、脱線注意。』
と書いてる人物が本当に懸念してるのだろうか?
若し後者としたら
邦正をどつく浜ちゃんを「あれはつっこみではない暴力だ!」
上島竜兵を小バカにする土田晃之に対して「先輩に対する礼儀がなってない!」
とお怒りになっている事だろう。
「デスブログ」とはわざわざ説明するまでも無く
東原亜希オフィシャルブログ 『ひがしはらですが?』
の事である。
「デスブログ」と呼ばれる事に対して東原亜希が怒っているのか、気に病んでいるのか、
それは本人に確かめてみないと判らない。
ただ旦那の井上康生が全日本男子柔道監督に就任した時の記事
『最初で最後。2012-11-05
みなさま
おめでとうコメント
ありがとうございました!!
先週も
たくさんの応援コメントいただいていたのに
何も触れることができず
申し訳ありませんでした。。。
本日
正式に監督就任発表があったので
お礼だけお伝えしたくて。
これきりにしますね。』
でも判るように、彼女は間違いなく「デスブログ」という扱いを受け止めている。
それ以前に、「うまなで」時代に武豊らから「本命にあげないで」と直接要請されてたし。
(因みにこの頃は本家と同じく「デスノート」でしたな)
本人に確認してみないと判らない、とは書いたが
その頃からの経緯、状況証拠から鑑みて
「話題になって美味しい」と考えてる可能性が非常に高い。
だいたい、若し本当に「デスブログ」と言われるのが嫌ならブログを止めれば良いのである。
それどころか彼女は2007年2月28日のブログ開設以来、
『ひがしはらですが?』
というブログタイトルさえ一度も変えていない。
よって彼女にとって一番困るのは
山口浩駒澤大学教授のような偽善者ぶったトンチンカンなおっさんが、
今更ながら言い出した判りきった事が社会現象化して、
マスコミから「デスブログと呼ばれている事についてどう思いますか?」なんて質問される事である。
『いえいえネタだって事、お遊びだって事はちゃんと理解してますよ』
なんて大人の答えをしてしまったら、このゲームは終了。
もう誰も面白がらない、それは即ち中長期的にアクセスが激減し
ステマとしての価値が一気に低下する。
反対に『実はそう呼ばれる事についてずっど傷ついていました、もう止めて下さい』
とネットの住人を悪者扱いしても、デスブログのお遊びはゲームセット、
これまた中長期的にアクセス低迷する事だろう。
即ち東原亜希にとって現在の「暗黙の了解」が一番美味しい状況。
勿論「デスブログ」なんて呼ばれ方を「ケッタクソ悪い」と感じた事は一度や二度では無かっただろうけど、
そんな一時の感情を遥かに凌駕するメリットを得てきた筈なのである。
そして我々の知っている東原亜希はずっとしたたかで、ずっと賢明である。
そんな我々が今興味をそそられているのが、、
若し東原亜希のデスブログでこの山口浩教授の名前を挙げたら
いったい彼の身にどんな不幸を襲うか?って事である。