我々幼少の砌には
「いいくに作ろう鎌倉幕府」
なんて語呂で
「1192年に源頼朝が鎌倉幕府を開いた」
なんて教えられたけど、今の教科書では違うらしい。
1192年とは頼朝が征夷大将軍になった年であって
決してそれはイコール「鎌倉幕府を開いた」って事にはならない、
て常識にやっと気づいたんですな。
根本的な事として
「幕府」ってなんじゃい!ってなるんだけど
元々は右近衛大将の唐名であり、
その本来の意味では息子の重盛も宗盛もなってるから
「平家は幕府になっている」
でも武士政権という意味の「幕府」では難しいですな。
教科書では頼朝が全国に守護・地頭を置いた1185年としてたりするらしいけど
これはちょっと時期的に早い気もする。
武家政権という意味では平清盛が先に獲っていたと考える事も出来る。
ただ、その根拠地を福原と畿内に置いた事と
ひょっとして「朝廷を乗っ取ろうとしていた」
(だから未だに逆賊扱いされるんだけど)
との発想から
「所詮、平安貴族の枠内のクーデター」
と看做されるんでしょうな。
でも反対に
「源頼朝こそ所詮、平清盛のパクリ、彼らの失敗を元に若干の修正を加えただけ」
とも言われている。
これも全て、日本が外国から侵略されるリスクが少なく
常備軍としての国軍を備えていなかったから、
(この先においてもだけど)
であろうか?